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気候と郷愁(氣候與鄉愁)
2013/12/18 09:56
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                     気候と郷愁(氣候與鄉愁)
                                           坂口安吾
                                           譯 星旭

 私は越後の新潟市に生れたが、新潟市に限らず、雪国の町は非常に暗い、秋がきて時雨が落葉を叩きはじめる頃から長い冬が漸く終つて春が訪れるまで、太陽を見ることが殆んど稀にしかない。冬の暗澹たる気候には発狂しさうな焦燥を感じて私は弱つたものである。直接の気候以上にやりきれないのは、人間が気候の影響を受け易く、自分の性格や物の見方感じ方に間接の気候の顔を見出すときには非常に惨めな自分を感じる。晴雨相半して特に激烈な表情のない東京大阪あたりの気候に比べて、雪国の暗澹たる気候が人に及ぼす影響は激しく深いのである。

我出生在越後的新潟市,雪國的城市包含新潟在內都很陰暗,從秋天的時雨輕敲落葉開始,直到漫長的冬日過後迎來春天為止,能看到太陽的日子不多。我很受不了那種因冬日暗淡的氣候而感受到一種發狂似的焦躁。氣候的影響不只是現象本身,人類也很容易受到氣候左右。我為自己在性格和看事情的方法上,間接地透露出氣候的徵兆感到很難為情。和晴雨相伴、臉部表情不豐富的東京和大阪人相比,雪國暗淡的氣候對人所帶來的影響不可謂深刻而激烈。

 勿論故郷の性格は誰にもある。性格ばかりではなく外貌にすらそれが滲んでゐないとは言へないのである。私はかつて小田原に遊んだとき、牧野信一(彼は小田原の生れである)に風貌の似た人物を随所に見かけて面白く思つた。大阪人の話にはいつたいに手振り身振りが多いが、人形芝居をみると、栄三操るところの町人の身振り手振りなぞ、見た眼には大袈裟であるが、然し現代の大阪人にも同じ物が実は生きてゐるのである。小田原の山は蜜柑畑で、一面人体と高さの違はぬ灌木ばかり、大樹の影や暗さがない。それに空気の澄んだ所で、光線が明るいのである。牧野信一の文章は冗長でありながらも非常に明るく澄んでゐる。靄がないのだ。このことは私の文章に靄が深く、私の生れが靄深く暗澹たる雪国であることに比べると、こんなところにも、やつぱり脱けきれない気候の影響があるのだと思ふ。

不言自明每個人的個性中都帶有點故鄉的鄉土味。不只是在個性上如此連外貌上也能反映出來。我過去造訪小田原時,對於隨處都可以遇到風貌近似於牧野信一(他出生於小田原)的人感到非常有趣。大阪人總的來說肢體動作可不少。我去看人偶劇時,會想到操作榮三偶戲當地人們的舉手投足,雖然看起來有點誇張,但現代的大阪人不就是這麼一回事嗎。小田原的山上有蜜柑園,園中一面長滿了與人同高的灌木,並無大樹般的陰和影。那裡的空氣清新光線明亮。牧野信一的文章雖然很冗長但卻明朗而澄澈,或許是因為他的故鄉沒有靄吧。我的文章裡則帶著厚重的靄,將我的文章拿來和雪國暗淡而充滿靄的情況一對照,可見氣候的影響力還真是無孔不入阿。

 むかし「南紀風物誌」といふ本を読んだことがある。(西瀬英一著、竹村書房刊)南紀州、つまり熊野から串本、新宮あたりの本州最南端の風物を描いたものである。権兵衛が種まく烏がほじくるといふ有名な権兵衛が実は実在の人物で、新宮であつたと思ふが、あのあたりに碑もあり、事蹟も残つてゐることなぞが書いてあつて面白かつたが、その本に、南国のたそがれ、子供達が竿をたづさへて路上へでる。「蝙蝠ほい……」と呼びながら飛ぶ蝙蝠を竿で叩き落さうとして、その一日の落日の中をはしやぎまはるといふ、南国に育つた人にはその嫋々(じようじよう)たる郷愁に結びついて忘れられない幼時の夢だといふことが書いてあつた。同じ著者が越後の新発田(しばた)へ旅行したことがあるらしく、南国の蝙蝠に関聯して、雪国で見た陰鬱な蝙蝠の思ひ出を語つてゐる。雪国で泊つた一夜、炉辺で話をしてゐると、煤けた天井の暗がりから一匹の蝙蝠が羽音をバタ/\させながら頭上をとんで別の一隅の暗がりへ消えていつた。南国の爽やかな黄昏をとぶ蝙蝠に思ひ比べて、そのあまり陰鬱な羽音に心の暗い思ひがしたといふのであつた。これはいはば北と南の相違に就て語つたものだが、私の言ひたいのは相違ではなく、その反対の場合である。

我讀過一本叫《南紀風物志》的書(西瀬英一著、竹村書房刊),南紀州,也就是從熊野到串本、新宮一帶,書中描繪了本州最南端的風土民情。在那兒有一則權兵衛播種鳥兒卻跑來吃掉種子的民話,故事中的權兵衛確有其人。應該是在新宮那一帶吧,有一塊碑紀載著權兵衛的事蹟令人莞爾。這本書裡還寫著在南國的黃昏裡,小孩們撐著竿子在路上招搖過市的景象,他們邊喊著「打蝙蝠呦」邊用竿子敲落正在飛行的蝙蝠,奔馳在一天的落日餘暉之中。在南國成長的人那種餘韻嫋嫋的鄉愁糾結著難以忘懷的童年時光之情無不躍然紙上。就像是我到越後的新發田去旅行,若要說點和南國的蝙蝠雖相關的內容的話,我會說在雪國所看見的那陰鬱蝙蝠的回憶。在雪國住上一晚圍爐夜話時,從滿布煤灰黑壓壓的天井裡竄出一隻蝙蝠,啪瘩啪瘩得拍著翅膀從人們頭上飛過,然後消失在漆黑的一隅。和南國颯爽的黃昏時分裡騰空飛行的蝙蝠相比,這陰鬱的振翅之聲讓心頭又染上一層陰翳。雖然上述內容聽起來像是在敘述南北之差異,然而我想說的其實正好與此相反。

 私は元来佐藤春夫や井伏鱒二の小説にみる郷愁的な色彩には肉親的な同感を感じ易い。然し彼等の郷愁は私の実際のそれとは違つて非常に明るく爽やかな南国的なものである。又私は少年時代、北原白秋の思ひ出なぞといふものに異常なノスタルヂイを刺戟されたものであるが、あの風景が九州の暖国の色調に溢れたものであることは、今更私が言ふまでもないことであらう。然し又、これを逆にした事実があるのである。私の作品に血族的な類似を感ずる人達の中でも、私のあの雪国の暗澹たる気候につながる郷愁に最も愛着を感じる人達は、その大多数が実際は南国生れの人々であつた。

我本來就對佐藤春夫和井伏鱒二小說裡鄉愁的色彩有頗有親身之感,然而在他們文章裡的鄉愁和我感受到的其實是不同一件事,那是明亮爽朗的南國風物。 此外在我少年時期,深受北原白秋回憶中具有的那種不尋常的去國懷鄉之感刺激,但無須我多言,書裡的景色滿溢著九州溫暖的色調。然而也有與我的經驗完全相反的事例,在我的作品中能體會到切身之感的人們,以及喜愛我筆下雪國暗淡的氣候中所醞釀出來的鄉愁的讀者們其實大多是南國出生的。

 タマーラ・カルサビーナはロシヤ生れの舞姫でニジンスキイと踊つた「ペトルシカ」なぞすでに歴史的なものであるが、先年この人が「ルビュウ・エブドマデエル」に思ひ出の記を連載してゐた。その中に、スペイン生れの画家パヴロ・ピカソとつきあふうちに、この南方人の激情的な血の中に非常に多くのロシヤ的性情を見出して吃驚(びつくり)したといふことが書いてあつた。この二人は例のヂアギレフの「ロシヤ舞踊団」で一緒に仕事をしてゐたもので、当時ピカソは背景を書いてゐた。ロシヤ舞踊団はリュシヤン・バレーやコルサコフ、ストラビンスキー等のロシヤ音楽を欧洲に紹介したばかりではなく、ピカソや詩人コクトオや六人組の温床であつた。思ふにピカソは南国の生れであつても、元来南国と北国の共に激烈な気候の影響が、その激烈な切なさ深さに於て全く類似してゐるから、その性情が一脈通じてしまふのだらうとカルサビーナは結論してゐたやうであつた。

塔瑪拉卡莎薇納(Tamara Karsavina)是出生於俄國的芭蕾舞舞者,她和尼金斯基(Vatslav Nijinsky)所合演的Petrushka已是名流史冊的演出,前幾年她在《Rubyuu Ebudomadeeru》這本雜誌上連載了她的回憶錄,其中寫到,她在和出生於西班牙的畫家畢卡索(Pablo Ruiz Picasso)的交往中,感受到在南方人激情的血液裡可以看到許多俄羅斯人的真性情而感到吃驚。當卡莎薇納和畢卡索在迪爾吉列夫(Sergei Diaghilev)的「俄羅斯舞團」一起共事時,畢卡索畫下了當時的景象。俄羅斯巴芭蕾舞團不只想將呂西安芭蕾以及高沙可夫(Korsakov)、史特拉汶斯基(Stravinsky)的俄羅斯的音樂介紹給歐洲,也是畢卡索和尚•考克多(Jean Maurice)和六人小組活動的根據地。雖然畢卡索出生在南方,但南國和北國同受激烈的天候影響,其激烈的程度之深並無二異。因此卡莎薇納得出了兩地人性情一脈相通的結論。

 ドイツの暗澹たる雪空をのがれ、太陽をもとめて伊太利へ馬車を急がせたゲーテは、然し恐らく太陽を異国の空のものとしてもとめてゐたとは思はれない。雪国の暗い郷愁の裏側にはいつも明るい太陽がある。雪国に忘れられた太陽は、その忘れられた故によつて、実は雪国のものなのだ。雪国に土着する素朴な農夫達の話をきくと、彼等の最も待ち遠いのは春の訪れで、長い冬が終り、始めて青空が光りはじめた爽やかな日の歓喜は忘れることのできないといふ。まだ根の堅い白皚々(はくがいがい)の雪原へとびだし、青空に向つて叫びたいやうな激しい思ひに駆られながら、とびまはらずにゐられないと言ふのである。太陽の歓喜を最も激しく知るものは、実は雪国の人々であるかも知れない。雪国の郷愁の中にはいつも南国が生きてゐるのだ。

揮別德國暗淡而飄著雪的天空,歌德(Goethe)為了尋求太陽而驅車趕往義大利,然而太陽哪怕是在異國的天空中也不可求。在雪國陰翳鄉愁的另外一面一直是陽光普照。太陽在雪國是被遺忘的,然而正因如此它才更屬於雪國。在雪國土生土長,憨直農民的話語中,他們最引頸期待的就是春天的到來,難以忘懷在寒冬過後,天空開始泛出光輝那種爽快的喜悅。此外,奔向根基還未鬆動,覆蓋著皚皚白雪的雪原,被想朝向青空大聲呼喊的激情給驅使著,身體不動起來都不行。或許真正懂得太陽所帶來的喜悅的正是這群雪國子民吧。南國其實一直存在於雪國的鄉愁之中。 

人間に気候の影響は甚だ大きい。私は理知の言葉と同じ程度に、気候の言葉を自分の裡にききがちだ。気候の言葉が我々の裡に生きる限り、我々の理知は郷愁を否定することができないだらう。人間は気候の前では弱小である。

人類受到氣候的影響甚大。和我理性的語彙相同程度地,氣候的語言也深深地刻劃在我體內。只要氣候的語言存在於我們體內一天,我們將無法以理性來否定鄉愁。人類在氣候面前是何等渺小阿。
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