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簡潔の美 (簡潔之美)
2013/12/25 15:17
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簡潔の美
簡潔之美

上村松園

 能楽の幽微で高雅な動作、その装束から来る色彩の動き、重なり、線の曲折、声曲から発する豪壮沈痛な諧律、こんなものが一緒になって、観る人の心を打つのです。

能樂幽微而高雅的動作,以及由其裝束傳達出來色彩的躍動感、層次和線條的曲折, 加上其聲音和曲調豪壯沉痛的旋律,這些要素綜合起來無不震撼觀客心靈。

 その静かで幽かなうちに強い緊張みのある咽び顫うような微妙さをもつのは能楽唯一の境地で、そこは口で説くことも筆で描くことも容易に許されぬところだと思います。

那種在寂靜與幽玄的氣氛中,帶著強烈的緊張感使咽喉顫抖的妙味,是能樂的至高境界。此一境界不論是用言語表達或提筆臨摹都不容易闡述。

 私はよく松篁と一緒に拝見に参りますが、その演者や舞台面や道具などを写生するために、特に前の方に置いて貰うのですが、つい妙技につりこまれて、筆の方がお留守になることがあります。

我常和松篁一起去觀賞能樂,為了要描繪表演者、舞台面具和道具等,特別選擇了靠近前方的位置。然而越看越是被其精妙給吸引,而停下了手邊的動作。

 いつでも思うことですが、傑作の面をみていますと、そこに作者の魂をしみじみと感ずることです。

我一直相信當我們新賞精緻的能面時,能夠切身感受到其製作人的靈魂。

 装束のあの華麗さでありながら、しかもそこに沈んだ美しさが漲っていて、単なる華麗さでないのが実に好もしい感じがします。

能劇的服飾相當華麗,其上隨處可見精雕細琢之美。然而我對能劇服飾所抱有的興趣不僅於其華美而已。

 舞台に用いられる道具、それが船であろうが、輿、車であろうが、如何に小さなものでも、至極簡単であって要領を得ています。

能舞台上所有的道具,像船隻、神輿和車輛等,哪怕是多麼不起眼的物件也都簡潔至極,得其精妙。

 これは物の簡単さを押詰めて押詰めて行ける所まで押詰めて簡単にしたものですが、それでいて立派に物そのものを活かして、ちゃんと要領を得させています。

將事物簡化再簡化,以致於登峰造極之處,則可見其偉大,並得其要領。

 ここにも至れり尽くされた馴致と洗練とがあらわれていると思います。

在經過鉅細靡遺的推敲和洗鍊之後所呈現出來的就是這等風光。

 能楽は大まかですが、またこれほど微細に入ったものはないと思います。

能樂的內容雖然落落大觀,但其中蘊含的細膩深刻又無一物可出其左右。

 つまり、道具の調子と同じ似通ったものがあって、大まかに説明していて心持ちはこまやかに表現されています。

使用於能樂中的道具也和能樂一樣,可從大處著眼來做說明,但卻需要有細密的表現手法。

 ですから能楽には無駄というものがありません。無駄がないのですから、緩やかなうちにキッとした緊張があるのでしょう。

於能樂中沒有無用之物,正因如此,在其緩慢進行中卻能感受到糾心的緊張感。

 能楽ほど沈んだ光沢のある芸術は他に沢山ないと思います。

像能樂一樣具有厚度之光澤的藝術於世上並不多見。

 能楽における、この簡潔化された美こそ、画における押詰めた簡潔美の線と合致するものであると思います。

或許正因為能樂的簡潔之美,在畫布上可和簡潔的線條並行無礙。

 簡潔の美は、能楽、絵画の世界だけでなく、あらゆる芸術の世界――否、わたくしたちの日常生活の上にも、実に尊い美の姿ではなかろうかと思います。

簡潔之美不僅存在於能樂和繪畫之中,在所有藝術的範疇以致於日常生活之中,也無處不可見到它的芳蹤。


        泥眼

 謡曲「葵の上」からヒントを得て、生霊のすがたを描いた「焔」を制作したときのことである。

我從謠曲「葵之上」獲得啟發,創作了「焰」這幅畫來描繪生靈的樣貌。

 題名その他のことで金剛巌先生のところへ相談にまいった折り、嫉妬の女の美しさを出すことのむつかしさを洩らしたところ、金剛先生は、次のようなことを教えて下さった。

「能の嫉妬の美人の顔は眼の白眼の所に特に金泥を入れている。これを泥眼と言っているが、金が光る度に異様なかがやき、閃きがある。また涙が溜っている表情にも見える」

我在和金剛巖先生討論創作題目和其相關事項時,對於如何表現出於嫉妒中的女人之美的難處,金剛先生賜教如下,「在能樂裡,嫉妒的女人的眼白處會施以金泥,這被稱之為泥眼。金泥閃耀著異樣的光彩,好像淚珠還停留在眸子上的表情一樣。」

 なるほど、そう教えられて案じ直してみると、泥眼というものの持つ不思議な魅力が了解されるのであった。

如來如此阿,先生的一席話讓我茅塞頓開,並真正了解到泥眼所具有的不可思議的魅力。

 わたくしは、早速「焔」の女の眼へ――絹の裏から金泥を施してみた。

我馬上將「焰」中女人的眼部,從絹布的反面塗上金泥。

 それが生霊の女の眼が異様に光って、思わぬ効果を生んでくれたのである。

就這樣女人的眼中大放異彩,產生了意想不到的效果。

 泥眼という文字は、眼で読んでみても、音で聞いてみても、如何にも「泥眼」の感じを掴みとることが出来るのであるが、ああいう話題の中へ、すぐに泥眼のことを持って来られる金剛先生の偉さに――さすがは名人となる方は、何によらず優れているとしみじみ思ったことであった。

泥眼這兩個字,不論是用眼睛看或用耳朵聽,都能夠讓人了然於心。像剛才的話題中,金剛先生能立即將泥眼給帶進來,讓人感到他的偉大,果然不愧於大師之名,不用多說什麼就能體會到他的卓越之處。
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