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樹の根(樹根)
2013/12/18 09:52
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樹の根(樹根)
和辻哲郎
譯 星旭
一
 松の樹に囲まれた家の中に住んでいても松の樹の根が地中でどうなっているかはあまり考えてみた事がなかった。美しい赤褐色の幹や、わりに色の浅い清らかな緑の葉が、永いなじみである松の樹の全体であるような気持ちがしていた。雨がふると幹の色はしっとりと落ちついた、潤いのある鮮やかさを見せる。緑の葉は涙にぬれたようなしおらしい色艶を増して来る。雨のあとで太陽が輝き出すと、早朝のような爽やかな気分が、樹の色や光の内に漂うて、いかにも朗らかな生の喜びがそこに躍っているように感ぜられる。おりふしかわいい小鳥の群れが活き活きした声でさえずり交わして、緑の葉の間を楽しそうに往き来する。――それが私の親しい松の樹であった。

 しかるにある時、私は松の樹の生い育った小高い砂山を崩している所にたたずんで、砂の中に食い込んだ複雑な根を見まもることができた。地上と地下の姿が何とひどく相違していることだろう。一本の幹と、簡素に並んだ枝と、楽しそうに葉先をそろえた針葉と、――それに比べて地下の根は、戦い、もがき、苦しみ、精いっぱいの努力をつくしたように、枝から枝と分かれて、乱れた女の髪のごとく、地上の枝幹の総量よりも多いと思われる太い根細い根の無数をもって、一斉に大地に抱きついている。私はこのような根が地下にあることを知ってはいた。しかしそれを目の前にまざまざと見たときには、思わず驚異の情に打たれぬわけには行かなかった。私は永いなじみの間に、このような地下の苦しみが不断に彼らにあることを、一度も自分の心臓で感じたことがなかったのである。彼の苦しみの声を聞いたのは、時おりに吹く烈風の際であった。彼の苦しそうな顔を見たのは、湿りのない炎熱の日が一月以上も続いた後であった。しかしその叫び声やしおれた顔も、その機会さえ過ぎれば、すぐに元の快活に帰って苦しみの痕をめったにあとへ残さない。しかも彼らは、我々の眼に秘められた地下の営みを、一日も怠ったことがないのであった。あの美しい幹も葉も、五月の風に吹かれて飛ぶ緑の花粉も、実はこのような苦労の上にのみ可能なのであった。

 この時以来私は松の樹のみならず、あらゆる植物に心から親しみを感ずるようになった。彼らは我々とともに生きているのである。それは誰でも知っている事だが、私には新しい事実としか思えなかった。

雖然我的住家被松樹所環抱,卻從來沒有仔細去思考過松樹的根在泥土裡是怎麼生長的。我對長年相伴的松樹一直抱持著這樣的印象;它的身軀呈現美麗的赤褐色,樹葉卻意外的呈現淺而清新的綠色。經過雨水的洗禮,它的顏色顯得沉靜,呈現在人面前的是一種豐潤飽滿的色調。綠葉如染上淚珠一般更增添幾許惹人憐愛的色澤。在驟雨初歇後太陽初照時,宛若早晨颯爽的心情盪漾在樹木的顏色和陽光之中。讓人感受到一種躍動而明朗的生命的喜悅。隨處能見的可愛鳥群伴隨著快活的囀聲在樹葉間嬉戲。這就是我所熟悉的松樹。

然而有一回,我佇立其上種植松樹卻土石崩壞的沙丘旁,目睹了在沙土中盤根錯節的複雜根貌。地上和地下儼然呈現出一幅絕然不同的景象。松樹在地上的部分是樹幹和簡單排列的枝芽以及在葉尖自由舒展的針葉。與之相比地下分化再分化的樹根有如女人的亂髮,似乎憚精竭力地去戰鬥、掙扎與承受苦難。根有粗有細不可勝數,其數量和樹枝相較有過之而無不及,並緊緊地抓牢大地。我雖然知道樹根在地底下呈現得是這個風貌,但沒料到當這樣的畫面歷歷在目時心裡著實大吃一驚。在我和松樹朝夕相處的這麼長一段時間裡,它在地底下不斷承受著痛苦,我卻連一次也沒有感同身受過。當我聽聞它的呻吟時是在強風吹拂之際。當我目睹它一臉憔悴時,是在持續了一個月乾旱的豔陽天後。然後那呼喊和倦容只要在經歷磨練過後,又會很快地打起精神不留下任何蛛絲馬跡。而它們在我們肉眼所看不見的泥土中,一日也不懈怠地精進不已。松樹美麗的枝幹和樹葉,以及漂盪在五月風裡的綠色花粉,都有賴泥土中的孜孜矻矻。

從這件事後,我不論是對松樹以至於我不論是對松樹以至於所有的植物都感到一股親切感,植物們和我們一同活著。雖然這事人盡皆知,但對我來說卻是一個新的事實。

二
 私は高野山へのぼった。そうして不動坂にさしかかった時に、数知れず立ち並んでいるあの太い檜の木から、何とも言えぬ荘厳な心持ちを押しつけられた。なるほどこれは霊山だと思わずにはいられなかった。この地をえらんだ弘法大師の見識にもつくづく敬服するような気持ちになった。

 それは外郭に連なる山々によって平野から切り離された、急峻な山の斜面である。幾世紀を経て来たかわからない老樹たちは、金剛不壊という言葉に似つかわしいほどなどつしりとした、迷いのない、壮大な力強さをもって、天を目ざして直立している。そうして樹々の間に漂うている生々の気は、ひたひたと人間の肌にも迫って来る。私は底力のある興奮を心の奥底に感じ始めた。

 私の眼はすぐに老樹の根に向かった。地下の烈しい営みはすでに地上一尺のところに明らかに現われている。土の層の深くないらしいこの山に育ってあの亭々たる巨幹をささえるために、太い強靱な根は力限り四方へひろがって、地下の岩にしっかりと抱きついているらしい。あの巨大な樹身にふさわしい根は一体どんなであろう。ことに相隣った樹の根と入りまじって薄い地の層の間に複雑にからみ合っているありさまは、想像するだけで我々に驚異の情を起こさせる。

 確かに山は烈しい生の力の営みによって、残る所なく包まれているのである。我々はそれを肉眼によって見る事はできなかったが、しかし一種の霊気として感ずることはできた。隠れたる努力の威圧が、神秘の影をさえ帯びて、我々に敬度の情を起こさせずにはいなかったのである。

 私は老樹の前に根の浅い自分を恥じた。そうして地下の営みに没頭することを自分に誓った。今気づいてもまだ遅くない。

當我去爬高野山經過不動坂時,那兒數不盡,叢立而生的巨大檜木群,讓我心頭湧上一股不言而喻的莊嚴感,此地果然不負靈山之名阿。而選擇此處開山建寺的弘法大師其真知灼見更是令我五體投地。

高野山外圍所接連的層峰將它和平原分開,讓山勢成為一道急峻的斜面。不知已經歷了多少風霜的老樹們,有如金剛不壞之身一般,沒有絲毫困惑,強而有力得向天際延展。那股飄盪在群樹之間的生命的氣息,如潮水般向人們襲來。我感到自己的內心深處湧起一種意蘊深刻的興奮感。

我迅速地將我的視線投向老樹的根部。地上一尺之內的景物已足以呈現地底下的營生是何等激烈。為了要在這土層不深的山上長成亭亭巨樹,粗大而強韌的根必須朝四面八方擴張,還必須緊抓著地下的岩石不放。然而符合巨木身型的根部該是長成什麼樣呢。它們的根部相互嵌合,在單薄的地層間相互交織成複雜的網路。光是去想像這個畫面就已經足以讓我們嘆為觀止了。

是阿,為了在山上這樣嚴苛的環境下生存,樹木對於周遭必須無所取捨物盡其用。雖然透過肉眼我們無法看清全貌,但卻能在其中感受到一種靈氣。那隱而未顯努力打拼的氣勢,帶著一襲神秘的色彩,使我們肅然起敬。

在老樹的面前我為自己根基的淺薄感到羞愧。並暗自發誓要在人們看不見的地方更加精進。現在能領悟到這一點還為時未晚。

三
 成長を欲するものはまず根を確かにおろさなくてはならぬ。
 上にのびる事をのみ欲するな。まず下に食い入ることを努めよ。

想要成長必須先向下扎根。
不要妄想一步登天,首應重在打好地基。

四
 早年にして成長のとまる人がある。根をおろそかにしたからである。

 四十に近づいて急に美しい花を開き豊かな果実を結ぶ人がある。下に食い入る事に没頭していたからである。

 私の知人にも理解のいい頭と、感激の強い心臓と、よく立つ筆とを持ちながら、まるで労作を発表しようとしない人がある。彼は今生きることの苦しさに圧倒せられて自分のようなものは生きる値打ちもないとさえ思っている。しかしそれは彼の根が一つの地殻に突き当たってそれを突破する努力に悩んでいるからである。やがてその突破が実現せられた時に、どのような飛躍が彼の上に起こるか。――私は彼の前途を信じている。根の確かな人から貧弱な果実が生まれるはずはない。

有人在人生的起步階段就停止成長了,這都歸咎於鬆散的根基。

有人年近不惑卻突然華枝春滿、碩果纍纍,這都歸功於努力經營穩固的下盤。

在我的朋友中,有人聰明睿智、情感豐沛且筆耕不輟,然而卻不願將自己的心血公諸於世人面前。他正為生活的重擔所苦,甚至覺得自己沒有活下去的價值。然而這不過是他的根部正和地殼伉颉,煩惱著該如何才能突破這層障礙。只要等到破殼而出的那一天,他勢必一鳴驚人。我對他的前途充滿信心,根基厚實的人是不會結出羸弱的果實的。

五
 古来の偉人には雄大な根の営みがあった。そのゆえに彼らの仕事は、味わえば味わうほど深い味を示してくる。

 現代には、たとい根に対する注意が欠けていないにしても、ともすればそれが小さい植木鉢のなかの仕事に堕していはしないか。いかにすれば珍しい変種ができるだろうかとか、いかにすれば予定の時日の間に注文通りの果実を結ぶだろうかとか、すべてがあまりに人工的である。

 天を突こうとするような大きな願望は、いじけた根からは生まれるはずがない。

 偉大なものに対する崇敬は、また偉大なる根に対する崇敬であることを考えてみなければならぬ。

自古以來偉人們無不重視厚植自己的根基,正因如此他們的事蹟才能令人回味再三耐人尋味。

當今,哪怕是人們不敢怠慢對根部的重視,也難保不會墮入照料盆栽之類的行當。哪怕盆栽種出了珍稀異種,也不過是在預定的時間表上結出可以預見的成果。這太人為造作了。

弱不禁風的根部生不出凌雲沖天之志。

當我們崇敬偉大的事物之時,不能不思量那偉大的出自。

六
 根のためには、できるならば、地の質をえらばなくてはならぬ。

 果実のためには、できるならば、根を培(つちか)う肥料をえらばなくてはならぬ。

 根に対する情熱を鼓吹し、その根の本能的に好むところの土壌のありかを教え、そうして幾千年来堆積している滋養分をその根に供給してやるのが教育の任務である。特に大学教育の任務である。

 大学が植木鉢に堕するか否かは、人の問題であって制度の問題ではない。大きい根を尊重することを知らない経営者の下にあっては、いかなる制度の改革も、ついに五十歩百歩に過ぎないだろう。

為了厚植根基,盡可能地應該考慎選土壤的質地。

為了收穫果實,盡可能地應該慎選能適合的肥料。

我們鼓吹對於根部應有的熱情,提供符合根部需求的土壤資訊,而教育的目的則在於將累積了數千年的養分提供給根部吸收。特別是大學教育。

大學是否淪為盆栽的關鍵在於人的因素不在制度本身。在不懂得尊重根基的經營者之下,不論從是怎麼樣的改革,其結果也不過是五十步笑百步罷了。

七
 教養は培養である。それが有効であるためには、まず生活の大地に食い入ろうとする根がなくてはならぬ。

 人々はあまりに根の本能を忘れていはしないか。いかに貴い肥料が加えられても、それを吸収する力のない所では何の役にも立たない。私は教養の機会と材料とが我々の前に乏しいとは思わない。ただそれに相当する根が小さいのを忘れる。

 汝の根に注意を集めよ。

教育即培養,為了有效地執行,首先必須將根深植於生活的這片大地之下。

人們也不要忘了根的本能,不論施予如何昂貴的肥料,只要無法為其所吸收一切皆徒然。在我們的眼前,提高教養的機會和材料並不虞匱乏,只是我們忘了是否有足夠的根器去吸收它。

將重心放在你/妳的根部吧。
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