田園の思慕(田園思慕)
2013/12/18 09:44
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田園の思慕(田園思慕)
石川啄木
譯 星旭
獨逸の或小説家がその小説の中に、田園を棄てて相率ゐて煤煙と塵埃とに濁つた都會の空氣の中に紛れ込んで行く人達の運命を批評してゐるさうである。さうした悲しい移住者は、思ひきりよく故郷と縁を絶つては來たものの、一足都會の土を踏むともう直ぐその古びた、然しながら安らかであつた親讓りの家を思ひ出さずにはゐられない。どんな神經の鈍い田舍者にでも、多量の含有物を有つてゐる都會の空氣を呼吸するには自分の肺の組織の餘りに單純に出來てゐるといふ事だけは感じられるのである。かくて彼等の田園思慕の情は、その新しい生活の第一日に始まつて、生涯の長い劇しい勞苦と共にだん/\深くなつてゆく。彼等は都會の何處の隅にもその意に適つた場所を見出すことはない。然し一度足を踏み入れたら、もう二度とそれを拔かしめないのが、都會と呼ばるる文明の泥澤の有つてゐる不可思議の一つである。彼等は皆一樣に、温かい田園思慕の情を抱いて冷たい都會の人情の中に死ぬ。さてその子になると、身みづからは見たことがないにしても、寢物語に聞かされた故郷の俤――山、河、高い空、廣々とした野、澄んだ空氣、新鮮な野菜、穀物の花及び其處に住まつてゐる素朴な人達の交はり――すべてそれらのうららかなイメエジは、恰度おの「幸の島」のやうに、過激なる生活に困憊した彼等の心を牽くに充分である。彼等も亦その父の死んだ如くに死ぬ。かくて更にその子、即ち悲しき移住者の第三代目になると、状態は餘程違つて來る。彼等と彼等の父祖の故郷との距離は、啻に空間に於てばかりでなく、また時間に於ても既に遙かに遠ざかつてゐる。のみならず、前二代に作用した進化の法則と、彼等が呱々の聲を擧げて以來絶間なく享けた教育とは、漸く彼等の肺の組織を複雜にし、彼等の官能を鋭敏ならしめてゐる。官能の鋭敏と徳性の痲痺とは都會生活の二大要素である。實に彼等は、思慕すべき田園を喪ふと同時にその美しき良心をも失つてゐるのである。思慕すべき田園ばかりでなく、思慕すべき一切を失つてゐるのである。かくてかくの如き彼等の生活の悲慘が、その父の悲慘よりも、その祖父の悲慘よりも更に一更悲慘なるものであることは、言ふまでもない。
有一位獨逸的小說家在其作品中批評了拋棄田園,奔向滿布煤煙和塵埃且空氣汙濁的都會的人們。這些可憐的移住者們雖然下定決心要和故鄉一刀兩斷,然而只要一踏上都會的土地,無不立刻眷戀起那承自雙親,古樸而又使人心安的老家。無論是神經多麼駑鈍的鄉下人也能感受到,在吸進了都市富含雜質的空氣之後,自己的肺組織中有著些變化。此外,他們的田園思慕之情,將從新生活的第一天起,伴隨著忙碌奔波的一生逐漸加深。他們無法在都市的任何一個角落找到使其安心自適之所。被稱作都會的文明之泥淖,只要一旦涉足其中就難以脫身,真是不可思議阿。這些移住者們無不懷抱著溫暖的田園思慕之情而身死冰冷的都會人情之中。這些人的孩子雖然不曾親歷過故土,但在夜裡睡前的床邊故事中,那些山、河、高聳的天際、空曠的原野、清澄的空氣、新鮮的蔬菜、穀物所開出的花朵,以及和居住在當地樸實住民的交往,故鄉的面影無不耀眼奪目,宛若童話故事中的「幸福之島」。這些無不牽引著在都市激烈生活中精疲力盡的他們心神嚮往。然後他們也和第一代移住者一樣死去,他們的兒子,即可憐的移住者的第三代們,狀況和上述兩者截然不同。第三代和他們的父祖輩和其故鄉之間的距離將不止於空間上,連時間上故鄉都成為一種遙遠的存在。不只如此,前兩代人的作為以進化的法則觀之,第三代人從呱呱落地以來所受的教育漸漸地使其肺部組織複雜化,他們的感官也越加敏銳。感官的敏銳和道德的麻痺症正是都會生活的兩大要素。事實上,當他們喪失理應對於田園該有的思慕之情時,作為美德的良心也隨之消失。不只是對田園的思慕,而是對一切理應思慕之物都灰飛煙滅。不言自明,第三代人們在生活上的慘況,較之其祖父執輩真是每下愈況。
この話を私は何時何處で誰から聞いたのか、すつかり忘れてしまつた。或は人から聞いたのではなくて、何かで讀んだのかも知れない。作者の名も小説の名も知らない、知つてるのはただ右の話だけである。或時獨逸の新しい小説に通じてゐる友人に訊ねてみたが、矢張解らなかつた。誠に取止めのないことであるが、それでゐて私は不思議にも此の話を長く忘れずにゐる。さうして時々思ひ出しては、言ひ難い悲しみを以て自分の現在と過去との間に心を迷ひ入らしめる。――私も亦「悲しき移住者」の一人である。
上面所述之事我已經想不起來是在何時何地從何人那聽來的了,或許不是聽來的而是讀到的,但作者是誰作品的名稱也不清楚,記住的只有內容本身。有一次我去探問正在執筆風格獨特的新作小說的朋友,提及此話內容也問不出個所以然來。然而自己心裡總有塊石頭放不下,雖然有點難以置信,這些內容在好長一段時間裡在我腦海裡揮之不去。就這樣有時我會回憶起,自己也帶著難以言語的哀傷,迷網在現在和過去之間。原來我也是「悲哀的移住者」的一份子阿。
地方に行くと、何處の町にも、何處の村にも、都會の生活に憧がれて仕事に身の入らぬ若い人達がゐる。私はよくそれらの人達の心を知つてゐる。さうして悲しいと思ふ。それらの人達も、恰度都會に於ける田園思慕者と同じに、十人の九人までは生涯その思慕の情を滿たすことなくして死ぬ。然し其處には、兩者の間に區別をつけてつけられぬこともない。田園にゐて都會を思慕する人の思慕は、より良き生活の存在を信じて、それに達せむとする思慕である。樂天的であり、積極的である。都會に於ける田園思慕者に至つてはさうではない。彼等も嘗て一度は都會の思慕者であつたのである。さうして現在に於ては、彼等の思慕は、より惡き生活に墮ちた者が以前の状態に立歸らむとする思慕である。たとひその思慕が達せられたにしても、それが必ずしも眞の幸福ではないことを知つての上の思慕である。それだけたよりない思慕である。絶望的であり、消極的である。またそれだけ悲しみが深いのである。
到地方上看看,會發現無論是位處哪裡的鄉村聚落,總有許多年輕人嚮往都會的生活無法腳踏實地得工作,我很能理解這種心情,並為此感到悲傷。這些人和生活在都市裡思慕田園風情的人並無二至,且十人中有九個人,直到辭世為止,終其一生滿懷著這樣的思慕之情。然而這兩者之間的差異涇渭分明。身處田園而思慕都會之人,他們的思慕之情源自於深信彼處的美好生活,這是一種憧憬的思慕,它樂天而積極。然而身處都會卻思慕田園之人卻非如此,他們一度也曾經是都會生活的嚮往者,在都會生活中陷入困頓更惡於從前之際,萌生對於過往的眷戀。他們深知,這樣的思慕哪怕有實現的一天也稱不上真正的幸福。這樣的思慕不著邊際、絕望且消極,並帶著深沉的哀傷。
産業時代といはるる近代の文明は、日一日と都會と田園との間の溝渠を深くして來た。今も深くしてゐる。これからも益々深くするに違ひない。さうして田園にゐる人の都會思慕の情が日一日深くなり、都會に住む者の田園思慕の情も日一日深くなる。かかる矛盾はそも/\何處に根ざしてゐるか。かかる矛盾は遂には一切の人間をして思慕すべき何物をも有たぬ状態に歩み入らしめるやうなことはないだらうか。
被稱為產業時代的近代文明,擴大了都會和田園之間的鴻溝,至今仍日復一日得進行中,未來勢必更將加劇。如此一來,田園之人將愈加思慕都會,反之亦然。這樣的矛盾究竟根植於何處呢?或許這一切皆源自於人類喪失了原本應該思慕之物所陷入的躊躇之狀態吧。
肺の組織の複雜になつた人達、官能のみひとり鋭敏になつた人達は、私が少年の如き心を以て田園を思慕するのを見て、「見よ、彼處にはあんな憐れな理想家がゐる。」と嗤(わら)ふかも知れない。嗤はれてもかまはない、私は私の思慕を棄てたくはない、益々深くしたい。さうしてそれは、今日にあつては、單に私の感情に於てでなく、權利に於てである。私は現代文明の全局面に現はれてゐる矛盾が、何時かは我々の手によつて一切消滅する時代の來るといふ信念を忘れたくない。安樂(ウエルビイング)を要求するのは人間の權利である。(明治四十三年十月二十日朝、東京にて)
那些肺部組織複雜化、感官愈發敏銳的人們,若看到了我懷抱著少年般的情懷來思慕田園之情,可能會嗤笑道「你瞧,那兒是你的理想國阿。」被嘲笑也無所謂,我不會放棄這樣的思慕之情,反而愈使其深化。時至今日,之於我這不單純是個人的感情,而是一種權力。我相信有一天,現代文明中所呈現的全面性矛盾,將透過我們的手徹底消滅。追求安和樂利的生活是我們人類的權利。(明治43年10月20日早上於東京)
(明治43・11・5「田園」第一號)
石川啄木
譯 星旭
獨逸の或小説家がその小説の中に、田園を棄てて相率ゐて煤煙と塵埃とに濁つた都會の空氣の中に紛れ込んで行く人達の運命を批評してゐるさうである。さうした悲しい移住者は、思ひきりよく故郷と縁を絶つては來たものの、一足都會の土を踏むともう直ぐその古びた、然しながら安らかであつた親讓りの家を思ひ出さずにはゐられない。どんな神經の鈍い田舍者にでも、多量の含有物を有つてゐる都會の空氣を呼吸するには自分の肺の組織の餘りに單純に出來てゐるといふ事だけは感じられるのである。かくて彼等の田園思慕の情は、その新しい生活の第一日に始まつて、生涯の長い劇しい勞苦と共にだん/\深くなつてゆく。彼等は都會の何處の隅にもその意に適つた場所を見出すことはない。然し一度足を踏み入れたら、もう二度とそれを拔かしめないのが、都會と呼ばるる文明の泥澤の有つてゐる不可思議の一つである。彼等は皆一樣に、温かい田園思慕の情を抱いて冷たい都會の人情の中に死ぬ。さてその子になると、身みづからは見たことがないにしても、寢物語に聞かされた故郷の俤――山、河、高い空、廣々とした野、澄んだ空氣、新鮮な野菜、穀物の花及び其處に住まつてゐる素朴な人達の交はり――すべてそれらのうららかなイメエジは、恰度おの「幸の島」のやうに、過激なる生活に困憊した彼等の心を牽くに充分である。彼等も亦その父の死んだ如くに死ぬ。かくて更にその子、即ち悲しき移住者の第三代目になると、状態は餘程違つて來る。彼等と彼等の父祖の故郷との距離は、啻に空間に於てばかりでなく、また時間に於ても既に遙かに遠ざかつてゐる。のみならず、前二代に作用した進化の法則と、彼等が呱々の聲を擧げて以來絶間なく享けた教育とは、漸く彼等の肺の組織を複雜にし、彼等の官能を鋭敏ならしめてゐる。官能の鋭敏と徳性の痲痺とは都會生活の二大要素である。實に彼等は、思慕すべき田園を喪ふと同時にその美しき良心をも失つてゐるのである。思慕すべき田園ばかりでなく、思慕すべき一切を失つてゐるのである。かくてかくの如き彼等の生活の悲慘が、その父の悲慘よりも、その祖父の悲慘よりも更に一更悲慘なるものであることは、言ふまでもない。
有一位獨逸的小說家在其作品中批評了拋棄田園,奔向滿布煤煙和塵埃且空氣汙濁的都會的人們。這些可憐的移住者們雖然下定決心要和故鄉一刀兩斷,然而只要一踏上都會的土地,無不立刻眷戀起那承自雙親,古樸而又使人心安的老家。無論是神經多麼駑鈍的鄉下人也能感受到,在吸進了都市富含雜質的空氣之後,自己的肺組織中有著些變化。此外,他們的田園思慕之情,將從新生活的第一天起,伴隨著忙碌奔波的一生逐漸加深。他們無法在都市的任何一個角落找到使其安心自適之所。被稱作都會的文明之泥淖,只要一旦涉足其中就難以脫身,真是不可思議阿。這些移住者們無不懷抱著溫暖的田園思慕之情而身死冰冷的都會人情之中。這些人的孩子雖然不曾親歷過故土,但在夜裡睡前的床邊故事中,那些山、河、高聳的天際、空曠的原野、清澄的空氣、新鮮的蔬菜、穀物所開出的花朵,以及和居住在當地樸實住民的交往,故鄉的面影無不耀眼奪目,宛若童話故事中的「幸福之島」。這些無不牽引著在都市激烈生活中精疲力盡的他們心神嚮往。然後他們也和第一代移住者一樣死去,他們的兒子,即可憐的移住者的第三代們,狀況和上述兩者截然不同。第三代和他們的父祖輩和其故鄉之間的距離將不止於空間上,連時間上故鄉都成為一種遙遠的存在。不只如此,前兩代人的作為以進化的法則觀之,第三代人從呱呱落地以來所受的教育漸漸地使其肺部組織複雜化,他們的感官也越加敏銳。感官的敏銳和道德的麻痺症正是都會生活的兩大要素。事實上,當他們喪失理應對於田園該有的思慕之情時,作為美德的良心也隨之消失。不只是對田園的思慕,而是對一切理應思慕之物都灰飛煙滅。不言自明,第三代人們在生活上的慘況,較之其祖父執輩真是每下愈況。
この話を私は何時何處で誰から聞いたのか、すつかり忘れてしまつた。或は人から聞いたのではなくて、何かで讀んだのかも知れない。作者の名も小説の名も知らない、知つてるのはただ右の話だけである。或時獨逸の新しい小説に通じてゐる友人に訊ねてみたが、矢張解らなかつた。誠に取止めのないことであるが、それでゐて私は不思議にも此の話を長く忘れずにゐる。さうして時々思ひ出しては、言ひ難い悲しみを以て自分の現在と過去との間に心を迷ひ入らしめる。――私も亦「悲しき移住者」の一人である。
上面所述之事我已經想不起來是在何時何地從何人那聽來的了,或許不是聽來的而是讀到的,但作者是誰作品的名稱也不清楚,記住的只有內容本身。有一次我去探問正在執筆風格獨特的新作小說的朋友,提及此話內容也問不出個所以然來。然而自己心裡總有塊石頭放不下,雖然有點難以置信,這些內容在好長一段時間裡在我腦海裡揮之不去。就這樣有時我會回憶起,自己也帶著難以言語的哀傷,迷網在現在和過去之間。原來我也是「悲哀的移住者」的一份子阿。
地方に行くと、何處の町にも、何處の村にも、都會の生活に憧がれて仕事に身の入らぬ若い人達がゐる。私はよくそれらの人達の心を知つてゐる。さうして悲しいと思ふ。それらの人達も、恰度都會に於ける田園思慕者と同じに、十人の九人までは生涯その思慕の情を滿たすことなくして死ぬ。然し其處には、兩者の間に區別をつけてつけられぬこともない。田園にゐて都會を思慕する人の思慕は、より良き生活の存在を信じて、それに達せむとする思慕である。樂天的であり、積極的である。都會に於ける田園思慕者に至つてはさうではない。彼等も嘗て一度は都會の思慕者であつたのである。さうして現在に於ては、彼等の思慕は、より惡き生活に墮ちた者が以前の状態に立歸らむとする思慕である。たとひその思慕が達せられたにしても、それが必ずしも眞の幸福ではないことを知つての上の思慕である。それだけたよりない思慕である。絶望的であり、消極的である。またそれだけ悲しみが深いのである。
到地方上看看,會發現無論是位處哪裡的鄉村聚落,總有許多年輕人嚮往都會的生活無法腳踏實地得工作,我很能理解這種心情,並為此感到悲傷。這些人和生活在都市裡思慕田園風情的人並無二至,且十人中有九個人,直到辭世為止,終其一生滿懷著這樣的思慕之情。然而這兩者之間的差異涇渭分明。身處田園而思慕都會之人,他們的思慕之情源自於深信彼處的美好生活,這是一種憧憬的思慕,它樂天而積極。然而身處都會卻思慕田園之人卻非如此,他們一度也曾經是都會生活的嚮往者,在都會生活中陷入困頓更惡於從前之際,萌生對於過往的眷戀。他們深知,這樣的思慕哪怕有實現的一天也稱不上真正的幸福。這樣的思慕不著邊際、絕望且消極,並帶著深沉的哀傷。
産業時代といはるる近代の文明は、日一日と都會と田園との間の溝渠を深くして來た。今も深くしてゐる。これからも益々深くするに違ひない。さうして田園にゐる人の都會思慕の情が日一日深くなり、都會に住む者の田園思慕の情も日一日深くなる。かかる矛盾はそも/\何處に根ざしてゐるか。かかる矛盾は遂には一切の人間をして思慕すべき何物をも有たぬ状態に歩み入らしめるやうなことはないだらうか。
被稱為產業時代的近代文明,擴大了都會和田園之間的鴻溝,至今仍日復一日得進行中,未來勢必更將加劇。如此一來,田園之人將愈加思慕都會,反之亦然。這樣的矛盾究竟根植於何處呢?或許這一切皆源自於人類喪失了原本應該思慕之物所陷入的躊躇之狀態吧。
肺の組織の複雜になつた人達、官能のみひとり鋭敏になつた人達は、私が少年の如き心を以て田園を思慕するのを見て、「見よ、彼處にはあんな憐れな理想家がゐる。」と嗤(わら)ふかも知れない。嗤はれてもかまはない、私は私の思慕を棄てたくはない、益々深くしたい。さうしてそれは、今日にあつては、單に私の感情に於てでなく、權利に於てである。私は現代文明の全局面に現はれてゐる矛盾が、何時かは我々の手によつて一切消滅する時代の來るといふ信念を忘れたくない。安樂(ウエルビイング)を要求するのは人間の權利である。(明治四十三年十月二十日朝、東京にて)
那些肺部組織複雜化、感官愈發敏銳的人們,若看到了我懷抱著少年般的情懷來思慕田園之情,可能會嗤笑道「你瞧,那兒是你的理想國阿。」被嘲笑也無所謂,我不會放棄這樣的思慕之情,反而愈使其深化。時至今日,之於我這不單純是個人的感情,而是一種權力。我相信有一天,現代文明中所呈現的全面性矛盾,將透過我們的手徹底消滅。追求安和樂利的生活是我們人類的權利。(明治43年10月20日早上於東京)
(明治43・11・5「田園」第一號)
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