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安平 vs 長崎
2009/04/15 00:09
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安平 vs 長崎

今天在聯合新聞網看到這則news  http://udn.com/NEWS/DOMESTIC/DOM5/4845910.shtml 這記者也太不認真作功課了.. 把原故事找了出來.. 如下:

じゃがたらお春の背景  賈阿春的故事背景
(出典:吉村昭著「ふぉんしいほるとの娘(上)p.131-」)

最初の混血児の受難のともいうべきものは、百九十年前の寛永十三年(一六三六)五月十九日付けで発せられた幕府の通達によってひき起こされた。 
最早的混血兒受難記是發生在190年前的1636519; 這天, 幕府下達的命令引起這場悲劇。
幕府は、キリスト教をひろめることにつよめていたポルトガル人、イスパニヤ人の国外退去を命じる施策の一環として、堀田加賀守、松平伊豆守、酒井讃岐守、土井大炊頭の連名で、長崎奉行に下知状を発した。その中に、
幕府為了阻止葡萄牙和西班牙人傳教,在堀田等4人的連名下,長崎奉行下了如下通知:

 一、南蛮人(ポルトガル人、イスパイニヤ人)ノ子孫ハ、日本人ニ残シ置カザル様堅ク申付ケル事、モシ違背シテ残シ置クアレバ、死罪。親族ノ者モ処罰ス。
一、南蠻人(葡萄牙人、西班牙人)的子孫不得住在日本、如違反此令逗留者處死刑。親屬也須受處罰。

一、長崎ニイル南蛮人ノ子供、又ハコレラノ子供ヲ養子ニシテイル者ハ、父母等一人残ラズ死罪  ニ価スルガ、一命ヲ救ケ、南蛮人ノイル地ニ赴クコトヲ許ス。 但シ、日本ニ帰ッテキタリ文通シタリスル者ハ死罪トシ、ソノ罪ハ親族ニモ及ブ。
一 居住在長崎的南蠻的孩子和是其收養者處死刑; 資助南蠻人也一樣,且罪及親屬。

といった内容の条項がふくまれていた。有著以上的內容條款。
この下知状によって、ポルトガル人の血をひく混血児とその母ら二百八十七人の国外追放が決定した。
根據這紙命令,有葡萄牙血統者及其母親共287人被驅逐到國外。

同年七月八日、ポルトガル船四隻が長崎に入港し、八月十三日に追放者をのせてマカオに去った。  これらの者の中には、混血児以外に、日本人の妻になったポルトガル婦人、混血児の母である日本女性、混血児を養子とした日本人夫婦、ポルトガル人の妾であった日本女性などがまじっていた。 
同年78日,四隻葡萄牙船來到長崎港,813日將這些被驅逐者送往澳門。這些人當中,除混血兒外,還有葡裔的日本人妻子,混血兒的日本母親,養父母、葡萄牙人的小老婆等日本女性。

そのため、家族の中で父、母、兄弟、姉妹のいずれかが永久追放をうける悲劇が起り、互いに悲しみ嘆きあう声が海岸にみちた。やがて、かれらは警護の者に追い立てられて船に乗せられていったが、かれらの泣声は船が港から出て行くまできこえていた。
這時,家中有父母兄弟姐妹被下令驅逐的者,群聚在此道別(場面當然很感天動地啦),直到被警衛攆下船去。

その後、島原の乱があって、幕府は一層異国人に対する警戒を強め、ポルトガル船の来航を禁じた。  さらに貿易を許していたオランダ人に対する圧力も強化し、寛永十六年(一六三九)ニ月二十一日に、阿部対馬守、阿部豊後守、松平伊豆守の名で長崎奉行に対しオランダ人等と日本人との間に生れた混血児等に対する追放令が通達された。
此後發生島原之亂,幕府對外國人的警戒心更為強烈,開始禁止葡萄牙船進入。也對有貿易特許的荷蘭人開始施壓,1639221日長崎奉行以阿部等人的名義,發佈對日荷混血兒的驅逐令。

それには、おらんた人 二日本一子を持候儀、可ニ停止一。此跡持候子ハ、其父もつけ、母共に異国へ可レ遣事 ..  という一条があった。つまり、オランダ人は日本で混血児をもつ事を禁じ、今後混血児をもつような事があった場合には、父であるオランダ人につけて、母である日本女性とともに海外へ追放するというのである。混血児は、それまでにもしばしばジャカルタに追放されていたが、この訓令によって、その年の九月にはオランダ、イギリス系の混血児とその母親などがバタビヤに放逐された
… 有此一說。也就是說: 荷蘭人禁止在日本生下混血兒,如日後有生下混血兒時,荷蘭父親與日本母親將被一併驅逐。現有的混血兒則會被驅逐到雅加達。據此令,當年9月間荷裔與英裔混血兒及其母親們被驅逐到バタビヤ。

その中には、お春という十五歳の混血児もまじっていた。  お春の父はイギリス人とされていたが実際はイタリヤ人で、三十七歳の母、十九歳の姉である混血児まんとともに追放になった。お春は、母、姉と嘆き悲しみながら長崎からバタビヤに移住させられたが、二十二歳の折に平戸生れの紅毛人シンモンスと結婚し、子にも恵まれた。彼女は美しい女で頭もよく、習字、読書も心得ていて、異郷で生きる淋しさと望郷の思いを字に託して、故郷の縁者、知人に手紙を送った。
這裡面有個叫"阿春"的十五歲混血兒。 阿春的爸爸被當做英國人,實際上是義大利人。阿春37歲的母親和19歲的混血兒姐姐也被一併驅逐。就這樣,阿春和她母姐三人從長崎放逐到バタビヤ; 22歲時,阿春和在平戶出生的紅毛人シンモンス結婚,也生了小孩。她是美麗聰明的女人, 讀書寫字都很行。她把在異鄉生活的寂寞和思鄉之情,以書信的形式寄給在故鄉的親友。

それは、じゃがたら文といわれたもので、「日本こひしや、ゆかしやなつかしや、見たや~」  「むねせまり、くるしきまま書とめまゐらせ候」「あまり日本のこひしくてやるかたなき折ふしは、あたりの海原をなかみ候より外は御さなく候」「ただ一たび仏の御あはれみにて、日本へ帰申べしとこそ思ひまゐらせ候。たとへ三日をすぐし侍らで、きえ果てまゐらせ候共いささか、くるしからず候」などと、切とした思いがつづられ、人の涙をさそった。 
被稱為賈氏文章裡,有這如此描述 ”XXX(這些古日文太難懂了)XXX “ 等等這些思鄉之情,讀來令人感動萬分。

その後、混血児の追放は絶え、遊女がオランダ人の子を産むことも、奉行所の定めた正規の手続きをふめば少しも非難すべきことでなく、一般人として扱う旨の訓令があった。これによって、遊女が混血児を産むことも多くなったが、果たして混血児が社会の中でどのように生きてゆけるかという不安は依然として残されていた。
後來,驅逐混血兒的事沒再發生。浪女與荷蘭人生的小孩,如果是遵照奉行定的正規的手續,也不會受到太大的為難,幾乎與常人被要求遵守的一樣。如此一來,浪女生混血兒的情形也多了起來,只是混血兒在社會裡仍然有著一些不安的感覺。

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