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MIJ山本忠利 和太鼓
2014/11/21 09:30
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MIJ 山本 忠利 和太鼓

山本 忠利

わんぱく少年団の代表

和太鼓祭音の代表

かわさき国際交流民間団体協議会会長

 

1941年 生まれ。2008年4月現在67才。

1961年 京浜協同劇団に入り、脚本を書き、和太鼓と出会った

1969年 「平間わんぱく少年団」を始めた

1984年 「和太鼓祭音」を結成

 

 山本は電力会社に働きながら、20才の時に川崎市幸区にある京浜協同劇団に加わる。

 働きながらアマチュア演劇を続け、その中で和太鼓にも出会う。

 演劇ではマンガ「はだしのゲン」を脚色した「麦の穂のように」で初めての脚本を書く。この作品は川崎・横浜・茅ヶ崎で上演され8000名の人が鑑賞した。その後、フリースクールの実践活動を取材した「旅☆自分を探しに」を劇作、上演。浅田次郎氏の「鉄道員(ぽっぽや)」も映画に1年先駆けて演劇として脚色上演した。

 

 

 平間わんぱく少年団は、平間学童保育の卒業生の父母等で結成した。当初は様々な体験をさせたいという親の願いで始まった。山本は和太鼓を伝承する役割をもって参加していた。まだ週休2日制もなかった頃で、他の親たちの参加が難しくなる中で、3交代勤務をしていた山本の和太鼓だけが残り、今日の太鼓の少年団になった。当初から30年子どもたちと関わり続けている。

 

 少年団が15年ほど活動したところで、もっと太鼓を続けたいという若者と、山本が指導した中原市民館の太鼓教室の卒業生、地域の太鼓愛好者が加わって「和太鼓祭音」を結成した。平間わんぱく少年団と和太鼓祭音は兄弟集団として、様々なイベントへの出演を一緒にやってきた。可愛らしさが喜ばれる少年団と、勇壮な力強さを表現する若者たちの演奏が相まって、喜ばれた。

 

 「和太鼓祭音」は舞台公演を目標にして練習を重ね、山本の構成演出、安達元彦の音楽で2000年に初めての舞台公演「祭りを舞う・祭りを打つ」を発表する。これ以降、2002年「ふるさとは祭色」、2004年「風よ祭り伝えよう」、2007年「一つの太鼓と子守り唄」といずれも山本の構成演出で舞台公演を続けている。

 

 山本の創る舞台は、演劇活動を通じて得た経験を和太鼓の舞台にも生かしていて、子どもたちの小さなミュージカルを挿入するなど、民謡、民舞、合唱、朗読、子守り唄など、これまでの和太鼓の舞台になかった要素も採り入れ、躍動的で伝統の匂いが息づく舞台になっているという、好意的な評価を得ている。

 

 山本は「30年続いたのは、太鼓を叩きたいという子どもたちの要求もあったが、それを支える地域の温かさ、小中学校、子ども文化センター、商店街、町内会等々、たくさんの人がいて、声をかけてくれ、いろいろな形で応援してくれているから出来たこと」話している。

 

受賞記録

1990年 第4回地域社会事業賞(神奈川新聞社主催)

2000年 安藤為次教育記念賞受賞

2001年 「市民文化パートナーシップ川崎」第1回顕彰事業受賞

2001年 「ボランティア活動記録コンクール」神奈川県知事賞

2005年 かながわボランタリー活動推進基金21

    平成17年度ボランタリー活動奨励賞受賞

 

公演記録

1989年 「平間わんぱく少年団」結成10周年記念コンサート

2000年 「祭りを舞う・祭りを打つ」(川崎市エポック中原)

2002年 「ふるさとは祭色」(川崎市エポック中原)

2005年 「風よ! 祭り伝えよう」(川崎市エポック中原)

2008年  平間わんぱく少年団30周年記念公演

    「和太鼓と平和のねがい大空へ」(川崎市幸文化センター)

 

海外公演

2000年 ドイツ公演

2003年 トルコ公演

2005年 中国公演

全站分類:在地生活 亞洲
自訂分類:不分類
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