第71番札所 剣五山 千手院 弥谷寺 (けんござん せいじゅいん いやだにじ)
千手観世音菩薩 / 真言宗善通寺派 / 行基菩薩
オン バザラ タラマキリク
悪人と 行き連れなんも 弥谷寺 ただかりそめも 良き友ぞよき(あくにんと ゆきづれなんも いやだにじ ただかりそめも よきともぞよき)
〒767-0031:香川県三豊市三野町大見乙70(0875-72-3446)
前札所:第70番札所 本山寺(12.2km)/次札所:第72番札所 曼荼羅寺(3.5km)
徒歩:本山寺→国道11号線→小原→落合→大門→弥谷寺
本山寺から徒歩5分、琴参バス鳥坂経由丸亀行:本山小学校前→鳥坂(18分)、JRバス詫間・仁尾経由観音寺行:弥谷寺□(3分)、下車後徒歩(1.1km:山道)
JR予讃線詫間駅下車。善通寺行きバス7分(弥谷寺口下車)。徒歩35分。
宿坊:なし
弥谷寺の歴史・由来
◇創建について
今からおよそ1300年前。人皇第45代聖武天皇の勅願により、行基菩薩が堂宇を建立し、光明皇后の父母の菩提を弔う為、『大方広仏華厳経』をお祀りし、寺院を創建したといわれています。また、華厳経以外にも、寺宝の経典の中には天平年間724年頃につくられた経典が残っており、少なくとも724年以前には寺院が建立されていた事が伺へ、大師生誕(774年)の50~100年程前に弥谷寺が創建された事が分かっています。
◇霊山信仰
弥谷寺のある弥谷山は、古来より霊山(仏山)として信仰されたといわれ、日本三大霊場(恐山・臼杵磨崖仏・弥谷山)の一つに数えられたとされる。古来より、人々は山々に仏や神が宿ると信じ、その山を霊山(霊峰)と呼び信仰の対象としたとされる。また、この信仰は、お遍路の元となった、辺(遍)路信仰(へじしんこう)の1つともいわれている。弥谷山の霊山信仰では、『山域全体が仏の住む世界であり、水場横の洞窟が極楽浄土の入口だといわれ、特別強く信仰された。』とされ、霊山信仰を持った修験者により刻まれた摩崖仏が今も無数に点在している。また、こういった信仰は現在も残され、水場の洞窟に水経木と呼ばれる真言を書いた木札をお供えし、山頂から流れ落ちてくる霊水で、経木を洗い清める事で(お水まつり)、子孫末裔が現世で安穏(幸せ)に過ごせるよう、多くの方が参拝している。
◇獅子之岩屋
獅子之岩屋は、寺院創建の頃よりあった洞窟といわれ、『弘法大師が9~12歳の頃、この岩屋にて修学(学問)に励まれた』といわれています。
また、寺院創建の頃より、この岩屋の右手奥にある洞窟は経蔵として使われていたとされ、大師はこの経蔵から経典をとりだし、岩屋の窓(明星之窓)から明かりを取り込み、写経や学問に昼夜問わず励まれたといわれています。
岩屋の形が『獅子が咆哮をあげた形に見える事から獅子之岩屋』と呼ばれ、「獅子の咆哮は仏の説法と同じ」という仏教の信仰から、この岩屋の前で信心をおこし参拝する事で、『その身につくあらゆる厄災を獅子が食べ尽くし、その身を護る』といわれ、信仰されています。
◇洞地蔵尊(ほらぢぞうそん)
首から上の病に御利益があるといわれるお地蔵様です。獅子之岩屋に向かう途中の大師堂内より参拝でき、座って岩壁の10㍍上方を見上げないと姿を見る事ができないお地蔵様です。
◇修学ノ地としての弥谷寺
現在、寺院に伝わる書簡の調査によると、大師修学以後も多くの僧侶が弥谷寺へ訪れていた事が伺へ、近年では、西郷隆盛と入水した月照の手紙とされる書簡なども見つかっており、明治初期まで様々な僧侶が来山し、修学・修行に励んでいた事が分かっています。
弥谷寺の見どころ
大師堂・本堂
仁王門から石段を370段(有料・裏参道を進めば108段)上ったところにあります。石段の脇には古い墓石や五輪塔が点在しており、岩壁に埋め込まれたように建てられた堂内部は荘厳な雰囲気をしています。本堂へは、さらに170段上りきると岩山にとり囲まれるように佇んでおり、苦労してたどりついた本堂からは、讃岐平野を見渡すことができ、爽快な気持ちにさせてくれます。
獅子の岩屋
大師堂の奥にあり、獅子が口を開いたかのような岩窟で、弘法大師が7歳の頃学問に励んだとされています。大師像のほか、阿弥陀如来像、弥勒菩薩像が安置されています。
弥陀三尊磨壁仏
大師堂から本堂へ向かう途中の岩壁にあり、大師が刻んだとされています。「磨崖仏(まがいぶつ)」と呼ばれ、真言を唱えると極楽往生ができるともいわれます。
弥谷寺の年中行事
修生会
●日時:1月1日
息災護摩供養結願/節分会
●日時:2月3日
永代経土砂加持法会/春分会(春のお水祀り)
●日時:3月20・21日
息災護摩供養
●日時:5月20日・
本尊会(夏のお水祀り)
●日時:7月17日
秋分彼岸法会
冬至(息災護摩供開白)
●日時:12月22日
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